尊敬する中山博道先生

 

「中山博道先生」

中山 博道(なかやま はくどう / ひろみち)は、日本の武道家。流派は神伝重信流、神道無念流剣術、神道夢想流杖術。称号は剣道範士、居合術範士、杖術範士。大日本武徳会から史上初めて剣・居・杖の三道で範士号を授与された人物である

旧加賀藩士(祐筆役)中山源之丞の八男として、現在の石川県金沢市に生まれる。明治維新の混乱で家が零落し、5歳のとき一家で富山県富山市に移住。8歳で同市の商家へ丁稚奉公に出され、働きながら剣術、柔術を学ぶ。 18歳のとき東京府神田西小川町の有信館道場(神道無念流・根岸信五郎)に入門。23歳で順免許、27歳で免許、28歳で師範代を許され、根岸の養子となる。中山家に復したのち、本郷真砂町に道場を建て、神道無念流・有信館を継承する。 神道夢想流杖術を内田良五郎に、無双神伝英信流居合を細川義昌に学ぶ。その後、大日本武徳会から前人未到の剣道・居合術・杖術の三範士号を授与され、昭和初期の剣道界において高野佐三郎と並ぶ最高権威者となった。

太平洋戦争後、戦犯容疑者として一時収監される。戦後は剣を捨てたが、武道団体の名誉職にあり、晩年の口述集が残された。「昭和の剣聖」、「最後の武芸者」と評される。

※ 以上ウィキペディア、中山博道より引用

 

私こと店長(ハブ道)の名前の由来&爺と剣道の鬼・中倉清先生のエピソード!

店長の名前は、 博道( ひろみち)です。この中山先生の名前より、つけられました。というのも店長の爺(祖父)が、中山先生の弟子であり、尊敬していた中山先生のお名前を頂戴いたしました。

また、爺が一緒に大学で修行した中には、剣道の公式戦で69連勝を打ち立て、「昭和の武蔵」と謳われた中倉清先生もおられました。あるとき、中山先生の記念大会か何かで、警察官の剣道家が大勢おられる中、ぱっと以外なところで久しぶりにあった爺が「中倉じゃないか!ひさしぶりだなぁ」みたいな言葉をかけたそうです。中倉先生も「せんぱーい」(ひさしぶりですね)みたいな感じになって、、するとその場の大勢の雰囲気が、ハハァー、みたいな感じになって、とてもびっくりしたそうです。

 

わが家にある写真、掛け軸など

 
中山先生の弟子だった爺(祖父)
中山博道先生    

掛け軸・写真など
 
    中山博道先生から頂いた掛け軸
 
中山先生の弟子だった爺(祖父)左
掛け軸と一緒に    
   
剣道に励んでいた父(右)